ノーベル物理学賞を受賞した人たちですら、間違いを重ねてきた。
人は、人類というくくりで、何千年という時の中で間違いを認識し、世界の見方を改めてきた。
人類の歴史は、過ちを認識してきたという歴史だ。
人類レベルで間違ってきたのだ。
その結果が今日の世界であり、僕の目に映る世界である。
何が言いたいか。
信じることは大切だが、正解ではない可能性は常にあるという事。
信じる事で安らかに生きていけるし、それだけでいいと思ったりもする。
自己満足が唯一の救いだとも思える。
ただ、この世界にはこの世界が間違っていると指摘する人が必要だ。
だから、好きなように生きろと人はいうのだ。
正直なにを書いているか分からない。
何かを書き遺したくて書いているが、うまく書けなくて悶えているのが現状だ。
僕には、今が必要だから、今これを書いている。
人は年を取ると同じ事を繰り返す話す。
同じように、未来の僕も訳の分からない事を訳の分からないままに言っているのかもしれない。
でももしかしたら、今の気持ちを簡潔に明瞭に表現できるようになっているかもしれない。
そんな未来の僕に向けて書いていると言えるかもしれない。
そんなことは割とどうでもいいが、モンハンをしたり、本を読んだり、アニメを見たり、映画を見たりするくらいに、この作業が楽しいというのが事実だということも、どうでもいい事実だ。
楽しいけれど、不安。
安心だけれど、臆病になる。
それが世の常なのであれば、そういうものだと受け入れる事は、かえって四苦八苦な人の生を肯定する事なのではないかと思う今日この頃、いや、今である。
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