本当に人というものは、見たいものを見たいようにしか見ていない、もとい、認識していないのだという事をつくづく痛感いたします。
つまり、あの時はそれしか見ていなかったのだという事を今になって知るのです。
そしておそらくは、また数年後、同じ場所に行くことがあれば、あの時はあれも見えていなかったのだと知ることになるのです。
その時、感ぜられる思いとは、何でしょうか。
今回は、納得でした。
しかし、未熟であったとただただ思うばかりではありませんでした。
それしか見ていなかったと思うという事は、新たに見たものがあるという事です。
大事なのは、それがどうであったかという事です。
綺麗でした。壮大でした。それは、すこぶる大きな感慨でありまして、私は小躍りを踊りたいような、しかし感慨のあまり身動きが取れないような心地なのでした。
私は、ここが好きかもしれません。
好きというのは大事なことです。
大事とは文字通りおおごとなのです。
なんと、私の生活におおごとが舞い込んでまいりました。
どういたしましょう、どうしましょう。
常々思う事なのですが、私は喜怒哀楽の喜と哀の波しかなく、それもかなり激しいのかもしれません。
つまりは、ちょろいのです。
眠くなくてもベッドに横になって目を瞑っていれば、体は休まります。
しかし、ぐるぐるぐるぐると思考は元気が良い。
思考にもベッドがあればいいのにと思う、今日この頃です。
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