昨日は記録をサボってしまった。
内容無き記録であるから、記録をしていなくてもさしたる問題はないけれど、やはりサボったという自分の意識が問題となる。
現に今こうして、後悔をしている。
何かしら書いておけばいいのに、そうすればこんな気持ちにはならなかった。
これからは、毎日適当なことを書いていこうと思う。
それはそうと、最近また少しずつ走っている。
去年の一時期ほどには、距離もタイムも気にしていないが、それでも息が上がって苦しいくらいには追い込んでいるつもりだ。
今、運動と言えば走ることである。それ以外は思いつかないし、思いついてもわざわざやろうとしない。
そして、走るといつもキケロを思い出す。
“運動のみが魂を支え、精神を高揚させる。”
1年前と何ら変わらない。
もしかすると、僕はすでに同じ話を繰り返すしか能のない老人化しているのではないかと心配になる。
人と話をする機会がないから、それに気づかないだけで。
口を開けば数年前と変わらぬ世界を語るのかもしれない。嫌だ。
なんの為に本を読んでいるのか。
そうだ、僕は何のために本を読んでいるのか、ちゃんと考えてこなかった。
面白ければそれでいいかもしれないが、目的があった方が、より方向性をもって深く自分の理解という世界観を持つことが出来るだろう。
その世界観が鮮明ではっきりとした輪郭を持ち、動かぬ土台の上に構築されていれば、人に語ることも出来るだろう。
僕は表面をなぞっただけで分かった気になって、自分の中に世界を構築していない。
読んだ。その達成感と感慨は、確かにあるもので、それ自体を否定するものではないけれど、その感慨 を自分の外に表現しようとするならば、やはり読み方が足りない。
方法が間違っている。量が足りない。考えていない。
目的無きところに結果なし。
僕は目的を持つことを怖がる節がある。
目的を持とう。そして、考えよう。考えなければならない。
確かな喜びとは、その先にしかない。
僕は勉強がしたいわけではない。偉くなりたいわけではない。
世界(現実)を知りたくはあるが、フィクションも楽しい。
フィクションを包括する、現実世界をより美しく捉えたい。
小説は娯楽だ。僕は娯楽を、本気で目的をもって取り組まんとする酔狂な人になりたい。
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