記録/2021.08.12

日記

昨日の夕刻、コロナのワクチン(モデルナ)の接種二回目を行った。

一回目の接種では注射した部分の痛みと、腫れがあっただけで特に生活に影響が出るほどの副反応では無かったが、今回はひどかった。

高熱による頭痛と腰や節々の痛み、吐き気と倦怠感、ここ数年健康体そのもので、今回も健康を害したわけではないと言えるが、こういった身体的な不自由不快感は久々の経験だったからよけいにショックだった。

しかし、ワクチンを打った半数以上の人が同様の反応を起こすらしい。

そうなると、世界中の人々が同じような副反応のしんどさに耐えて、コロナウイルスに対応しているのだと思うと事の重大さが少し現実味をもって感ぜられる。

今日は、まだ少し頭と首筋、肩回りに倦怠感は残るものの、腰や節々の痛みは嘘のようになくなり、健康の有難みを改めて思い出した。

読書をした。

「天と地の守り人第三部新ヨゴ皇国編」を読了。

これだけの超大作、登場人物も描く世界の地形的な広さも、また描かれる場面の複雑さも、洗練されつつ増していくばかりで、まとめあげるのが難しそうに思えるのだけれど、一読者のそんな心配は杞憂だった。

もっと、ゆっくりと落ち着いて冷静に盗むような姿勢で読めば、もっと楽しめるだろう事を確信させてくれる歯ごたえのある世界だった。

一通り読むだけではもったいないと思った。

むしろ、一通り読んだのならば、もう一周、二周と読むべきだと思った。

計画を立てねばならない。

友は本に在りと思えてしまう今日この頃だけれど、だからと言って生身の友を失っていい事にはならない。

多くの関係をぶった切ってきたけれど、たぶんこれ以上やると本当に取り返しのつかないほどに僕は孤独では済まなくなり、孤立してしまう予感がある。そうなれば僕は生きていけない。

今は良くても1人でいることに気が済んだ後が来る予感があって、その時に自分の状況を鑑みた時に後悔の念に苛まれる気がする。

今は誠実な気持ちで人と関われないかもしれない。でも、何もしなかったら、そのまま何も無くなるだけなのは明白だ。

選択肢は多くない。その選択肢の少なさは圧倒的な不自由感となって、僕を不安にさせる。

しかし、選択肢は行動しなければ増えない。

失敗しなければ、成長出来ないのが人間だ。

心が壊れない程度に、心を傷つけ、圧迫していかなければならない。

そのやり方もまずは試していかなければならない。

怖い。けれど、大丈夫だ。

地球における人類の現れは、宇宙における春だと思え。

人の一生は短いがゆえに、その時全てを僕は春だとして捉えることにする。

なぜ春なのかは、決まっている。

語感がいいからだ。

色的イメージもさわやか且つこれから感に満ちている。

哀愁漂うノスタルジックな秋も好みで迷ったけれど、全てを肯定的に包み込むパワーというイメージを込めたい今回は春に軍配が上がった。

そしてなにより、春は短い。

今日も、それなりに楽しんだ。1人で楽しみもしたが、1人ではなかった時間もある。

上出来だ。ただ、1人ではない時の僕をどうすれば好きになれるのか分からない。

それは、相手にも伝わる。お互いに不幸な関係が出来てしまう。

同じ人間に対して、どうしてこうも愛が持てないのか、それは自分の弱さだと思うが、意思ではどうにもならないのが人間だ。薄情かもしれないがこの解決手段はシステム的に、強制的に、実利を伴う行動的経験の入力によってのみ、改善されると信じる。

具体的な策を講じ、実行すること。

とりあえずは、爆エピを用意するとしよう。そして、語りの練習。からの実践。

その披露の場を作らずとも、すでにあるという事が幸運なことであると心せよ。

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