それはネギであった。
根は無く、真っ白に艶やかな葉鞘から深緑の葉身の先端まで、ささやかなグラデーションをもって違和感なく存在感を放つそれは、もしやすると自分の顔より見慣れた、どこのスーパーでも目にする長ネギであった。
その時、私は片足を地面に付けて自転車に跨っていて、耳に飾り付けたイヤホンからは田園が流れていた。
夕陽に泣いた僕を思い浮かべながら、真っ青に晴れ渡ったスカイブルーからコバルトブルーへ緩やかにグラデーションする空を見上げていた。
ようやく残暑やわらいだ、早秋の午後の蕭々と吹く涼風に、わずかばかりの寂寥を感じた気がしたが、田園と、その上から、かぶさるようにけたたましい警報音がさらっていき、また田園が大きく聞こえだしたので、私は視線を、一仕事終えて持ち場へ引き上げたばかりであろう揺れる遮断桿を尻目に地面へとおろした。
砂利と木の板と、コンクリートと極太い鉄の棒による模様が現代的な、踏切が眼前にあった。
ざっくりと濃い灰色の印象のそこに、誇張でなく輝いてあった白い棒。
それはネギであった。
前述したように、それは立派なネギであった。
私は目の前に意識を持たず、雲も何もない空を見やっていたから、私はネギの目の前で足を地面につけてしまったのか。
いやそうではない。
私が足を地につけた時、ネギはまだそこになかったはずである。
なぜなら、ネギは鉄レールの隙間を橋渡しするようにあったので、もし遮断桿が下降する前にそこにあったのなら、電車が通過し見るも無残な姿になっているはずなのである。
もしその姿であれば、よくあることではないにしても、私はここまでそのネギの事を思い返したりはしなかっただろうし、何より、つぶれたネギをこの手に持とうなどと考えはしなかった。
つまり、どういうことか。
踏切に行く手を阻まれていたのは、何も私だけではなかったのである。
つまり、私と同じ側に待機していた私の前を行く人、もしくは対向からの人が落としたのだと、私は即座に思考する事が出来たのである。
しかしたった一瞬でも、五体満足の長ネギが長いままにそこにあった印象は峻烈だった。
私は、予期せぬイベントに出逢ったのだと思い、そしてそのイベントはこの峻烈をもって終わると思ったが、違った。
このネギは、落とし物であった。
落とし物には落とし者がいるのである。
私は当然の如く、落とし者に落とし物をもって接触を試みるのだが、これがまた。
おや、もう寝る時間だ。今日はここまでにしよう。
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