ただ、あったこと見たこと感じたことをそのまま記す。
それが日記である。
何ために記録するのか、その目的は様々であるが、なぜ記録をするのかを本質的に問うならば、こう言えるだろう。
人間は忘れる生き物だからだ。
忘れない生き物がいるのかどうかは分からないが。
忘れないということを証明するには、これまた記録が必要になる。
記録された瞬間に意味をもつもの(なんらかの値が測定されたり、有名人が記す日記はファンにとっては記録された瞬間に価値を持つだろう。)はいい。
その記録の行為に疑問を持つことはないから。
しかし、こと自分の日々の記録となると、その価値に疑問を持つ人は多いと思う。
旅行に行った時や、美味しいごはんやスイーツを写真にとるという記録は多くの人がしているのに、そのとき自分の思ったことについては明文化しない。
それは何故か、他人の事は分からないが、僕は僕の考える事に価値がないと思い込んでいるから。
思い込んでいると書いたのは、価値があると思える時もあるからだ。
ただ、自分に価値が無いと思う時間の方が圧倒的に多く、価値があると思える時には記録をすることすら思いつかないのだ。
これから、何年生きられるかこれまたわからないが、僕が生きていくうえでどうしようもなく訪れる経験から、価値があると思い、のちの自分や他人に意味を持つ記録が出来ないとも言い切れない。
だから、その瞬間をその瞬間で終わらせないために、忘れない為に、記録するという習慣をつけておくことが大切になる。
そういうこと。
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